起業の足跡
2005年05月26日 17:09
2005年05月14日 00:03
建築士の資格を取得し、とりあえず二級建築士事務所登録を行い、建築業として「プラス・ウッド建築工房」を、“家づくリづくりの道”決意後6年目にしてスタートさせました。
とは言え、私の地元は群馬の山間の小さな田舎地域ですので、新築工事は少なく、修理・修繕や小さな増・改築工事の請負が主でした。
「木の値段が安くて手入れされない山」
「家を建てるものの使われない日本の木」
そんな近くの山と木を救い活かすために始めた家づくりの仕事でしたので、、“地域の気候風土と共に成長し、手入れを施された数十年生(40〜60年)の杉や檜”を伐採するため、木材の伐旬の秋になると近くの山に入り、山での作業をしました。
伐倒した木材は、葉をつけたままその場にねかし「葉枯らし乾燥」を3ヶ月前後行います。
そして冬から春にかけて3〜6mの長さに玉切り(採材)、山から搬出し、近くの製材所に運んで製材しました。
製材した木材は持ち帰り、雨をしのぐように桟積みして天然乾燥させ、家づくりの材料としてストックしていました。
その作業は現在に至るまで毎年繰り返しているわけですが、こうした循環こそ元々は、丈夫で長持ちのする家づくり基本であり、日本住宅の文化であったと感じています。
これまで自分が家づくりに注いできた行動それは、その時点においての「直感力」が一番の源でありましたが、それが結果的に真理に適っていることが不思議と多々あリました。
お世辞にも「順風満帆」などとは言えない創業の時代でありましたが、「木と山への思い」が何よりもの原動力であったに違いありません。
また、私の目指す家づくりにご理解を示し、応援して下さったお客様や仲間たち、そして支えてくれた家族に、深く感謝申し上げます。
2005年05月13日 00:24
大工も見習いとは言っても、大きな工務店で使っていただいた訳ではなく、幾つかの建築施工関係のところで、忙しいところを手伝い歩いた状況でした。
それ故に大工以外の経験も積み、今日小さい現場においては電気設備・給排水設備を除けば一通りの仕事がこなせています。
当時は経済的な面においては、サラリーマンの時代の半分の給料であって、厳しい状態でもありました。
大工としての修業を続けながら4年目より、独学で設計の勉強も始めました。
そして一年後に二級建築士の試験を受け、一発で学科試験は合格しました。
こうして独学にて合格できた秘訣は、試験問題を毎朝欠かさずトイレの中で、繰り返し反復して記憶し、車の運転中も信号待ちの度に、一問一問の反復を続けた勉強法が良かったようです。
この頃の私は、結婚や子供の出産などとも重なり、自由に勉強できる時間は少なく、有効な時間の使い方で、より集中力も増したこともあったかも知れません。
さすがに製図試験は独学では厳しく、2年目に抜群の合格率を誇る「○建学院」に入校し無事に合格となり、晴れて二級建築士の資格が持てました。
また、この頃から自分の山の伐った木を、近くの製材所まで運び製材し、それらを桟積み乾燥し、木材のストックを行い始め、自分でも徐々に建築の仕事を請け始めました。
これが、建築の道を歩み始めてから6年目程のことです。
(次回につづく)
2005年05月12日 12:47
20代の後半〜30代前半はサラリーマンでした。
今から13年前の33歳(って、ことは現在46歳)に、建築の道を決意!しました。
20代の後半でサラリーマンになったきっかけは、当時、電線関係の製造をしている知り合いの会社で、社内の中国語講座をやっていまして、多少の中国語をかじっていた私は、更に語学力を伸ばそうと思い、その講座の仲間に入れて頂きました。
そんな折、その会社において、香港に工場進出の計画が立ち上がり、香港担当として私に白羽の矢が立ちました。
何かと迷いはありましたが、まだ独身の身であった私は香港行きを承諾して入社いたしました。
いよいよ香港進出の矢先に、あの歴史に残る「天安門事件」が起こり、香港進出は白紙となりました。
それでもその会社では私に、新規事業関係の仕事を担当させて下さり、米国・台湾・タイなど国内外の出張を始めとして、多くの貴重な体験をさせて頂きました。
前置きが長くなっていますが、そんなサラリーマンを続けてはいたものの「自分が本来やるべき職業(いわゆる“天職”)は何か?」と、悶々と考えることが多くなった矢先に、ある日の山形県への出張先の宿泊において、大きな心の転機が訪れました。
その宿泊先の宿舎(ペンションの様なところ)が、地場の木材をふんだんに使った建物であって、とても気持ちが休まった中で、直感的に思いが走り始めました。
「我が家は代々受け継がれてきた山林を所有し、私もその山や木と共に育ってきた。
それら山の木は、“祖父さんや親父の、育てた苦労と孫子への思い”が浸み込んでいるものだ、
しかし今その木は、伐って売れる値段は二足三文の安い値段である。
しかし、“自らが手掛けて木を活かし、住宅にふんだんに活用する”ことで、木もご先祖様も喜んでくれる筈だ!」
と、そこで自分の天職を悟り、建築の道を決意しました。
まずは、大工の見習いからスタートが始まり、同時に夜間の職業訓練校建築技能コースへも通いました。
(次まだ続きますが、今日はここまでにします)